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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)3293号 判決

原告 福田昌徳

右法定代理人親権者 父 福田吉一

同母 福田洋子

〈ほか二名〉

右原告三名訴訟代理人弁護士 梅田満

同 正森成二

同 小林保夫

同 鈴木康隆

同 臼田和雄

同訴訟復代理人弁護士 稲田堅太郎

被告 津島寿美子

右訴訟代理人弁護士 黒田喜蔵

同 黒田登喜彦

主文

被告は原告福田昌徳に対し、金五〇万円およびこれに対する昭和四四年七月一三日以降完済まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告福田昌徳のその余の請求ならびに原告福田吉一、同福田洋子の各請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用中、原告福田昌徳と被告との間に生じた分はこれを五分し、その三を同原告の、その余を被告の負担とし、原告福田吉一、同福田洋子と被告との間に生じた分は同原告らの負担とする。

この判決は、原告福田昌徳において金一〇万円の担保を供するときは、第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一、申立

一、原告らの求めた裁判

被告は、原告福田昌徳に対し金一三八万二、七一七円、原告福田吉一、同福田洋子に対し各金一〇万円および右各金員に対する昭和四四年七月一三日以降完済まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言。

二、被告の求めた裁判

原告らの請求はいずれもこれを棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする、との判決。

第二、主張

一、請求原因

(一)、被告は「三郷幼稚園」を経営するもの、原告福田昌徳は昭和四二年一〇月当時同幼稚園の園児であったもの、原告福田吉一、同福田洋子は原告昌徳の父母である。

(二)、右幼稚園の教諭で被告の被用者である原田(当時の姓は新村)則子は、昭和四二年一〇月一三日午後一時一五分ごろ、自己の担任で原告昌徳の属していた「すみれ組」の園児たちに運動会での綱引き遊戯を練習させるため、守口市大枝東町八七番地の右幼稚園の園庭に綱引き用の綱を出し、園児を男子組と女子組の二組に分けるとともに、みずからも女子組に加わって綱引きを始めたところ、数名の年長組の男子園児が園舎からとび出してきて男子組園児に加勢し、綱の端を強く引っ張って園舎の側まで引きずって行ったため、右先端付近で綱を引いていた原告昌徳は、綱と園舎の鉄柱との間に右手母指をはさまれて右手母指挫滅切断の傷害を受けるにいたった。

(三)、原告昌徳の右傷害は、被告の被用者である右原田教諭ならびに年長組担任教諭の過失によるものであり、かつ、同人らが被告の事業を執行するについて生ぜしめたものである。すなわち、綱引きはもともと危険の伴う遊戯であるから、園児にこのような遊戯をさせる教諭としては、遊戯中の園児や周囲の状況を十分に監視監督し、他の園児たちが勝手に一方の側に加わって綱を引っ張ることにより危険な状況を生ぜしめることのないようにすべき注意義務があるのに、原田教諭はこれを怠って漫然とみずから女子組に加わって綱引きをしていたものであり、また、年長組の担任教諭においても、他の組の園児たちが園庭において綱引きをしているところへ自己の担任する組の園児たちが出て行けば勝手にこれに加わって競技を乱し、競技中の園児に危害を生ぜしめることが予測されるのであるから、運動場へ出て行く自組の園児の動きを十分に監視監督し、そのような勝手な行動に出ないように配慮すべき注意義務があったのにこれを怠り、漫然と自組の園児らを園舎二階の教室から園庭へとび出すままに任せたものであって、これらの過失により本件事故が発生するにいたったものである。したがって、右両教諭の使用者である被告は、民法七一五条に基づき、右受傷によって原告昌徳のこうむった財産上、精神上の損害およびその父母である原告吉一、同洋子のこうむった精神的損害をそれぞれ賠償すべき義務があるといわなければならない。

(四)、しかして、原告らのこうむった損害の額は次のとおりである。

(1)、原告昌徳の逸失利益 八八万二、七一七円

原告昌徳の受けた本件傷害は、労働基準法施行規則別表二、身体障害一三級に当るから、右受傷による同原告の労働能力喪失率は九パーセントとみるべきである。しかるところ原告昌徳は、本件事故当時満四才であったものであるが、その就労可能年数を二〇才から六〇才までの四〇年間とみ、その間少くとも男子労働者の平均賃金、平均的臨時給与は取得できるものとして、ホフマン式計算法による年五分の中間利息を控除すると、同原告の取得すべき収入の現価は、別表記載のとおり九八〇万七、九七六円となるから、その逸失利益はこれに〇・〇九を乗じた八八万二、七一七円である。

(2)、原告昌徳の慰藉料       五〇万円

原告昌徳が本件事故によって非常な苦痛を受けたことは明らかであり、しかも、それが完治することなく不具の身体になってしまったのであるから、これを慰藉すべき慰藉料の額としては五〇万円が相当である。

(3)、原告吉一、同洋子の慰藉料  各一〇万円

(五)、よって、被告に対し、原告昌徳は右(1)、(2)の合計一三八万二、七一七円、原告吉一、同洋子は(3)の各一〇万円および右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四四年七月一三日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴に及んだ。

二、答弁および抗弁

(一)、請求原因第一項の事実は認める。

(二)、同第二項の事実のうち、原田則子が被告の被用者であること、原告ら主張のときに右原田則子が、原告昌徳の属する「すみれ組」の担任教諭として、三郷幼稚園の園庭において同組の園児らを男子組と女子組とに分け、みずからも女子組に加わって綱引きを始めたこと、その際、原告昌徳がその主張のような傷害を受けたことは認めるけれども、その他の事実は争う。

(三)、右事故は、原田教諭その他被告の被用者の過失によって生じたものではなくて、不可抗力によるものである。その事情を詳述すれば次のとおりである。

事故当日の午後、原告昌徳の属する「すみれ組」においては園庭で綱引き遊戯をすることになり、まず、保育室において原田教諭より園児たちに対し、綱引きに際しての並び方、前後の間隔、綱の持ち方などを説明するとともに、合図によって綱を引き始めるが笛を吹けばただちに引くのをやめること、その間前後左右の園児を押したり、いたずらをしたりしてはいけないことなどを注意したうえ、原田教諭が安堂庚子教諭に手伝ってもらって物置から綱引き用の綱を出してきて園庭に一直線に並べ、園児を男子組(原告昌徳はその中にいた)と女子組に分けて合図とともに綱引きを開始させたが、女子組が人数不足のためすぐに負けてしまったので、原田教諭も女子組に加わってこれに加勢することとした。ところが、しばらくするうち、年長組である「ユリ組」の男子の園児たち数名が突然園舎内からとび出してきて右綱引きに加わり、男子組に加勢して綱を引っ張ろうとしはじめたので、原田教諭がこれを制止しようとしたが、園児らはこれをきかず、原告昌徳も勝手にもとの場所をはなれて加勢している他組の園児らとともに綱の先端部のところへいってこれを引っ張ったため、その先端部はずるずると園舎の方へ引きずられていった。そこで原田教諭は、さらに笛を鳴らしてこれを制止し、なおも引っ張っている男子組の園児らのいる先端部まで駈けていったところ、原告昌徳が怪我をし、右手の母指先が切断されていたものであって、このような経過からすれば、右の事故は、園児たちが勝手な行動をしたことから生じた突発的かつ不可抗力による事故であったというよりほかはない。

(四)、原告ら主張の損害の額を争う。

(1)、原告昌徳の右手母指の切断面はすでに治癒しており、ただ右母指先の可動域が正常な場合の半分(五〇度)であるというにとどまるから、日常生活上さしたる不便不利を生ずるわけではないとみるべきであり、しかも、二〇才過ぎに再手術をすればほぼ元どおりに回復するのであるから、本件事故による原告昌徳の労働能力喪失率は零に近くなるというべきである。さらに、原告昌徳が本件事故当時四才であったことは認めるけれども、原告主張の逸失利益の算定においては生活費(収入の五〇パーセント)が控除されておらず、また、中間利息の控除もライプニッツ式計算法でするのが妥当であるから、その逸失利益の額ははるかに低額となるはずである。

(2)、原告ら主張の慰藉料の額も高きに失する。被告は原告昌徳の受傷後入院までの間、心をこめて同原告を看護し、その治療費、入院費も一切支弁し、さらには、その卒園まで保育料・通園料などを免除するなどして誠意を尽くしてきたのであるから、慰藉料の額の算定に際してはこれらの点が考慮されて然るべきである。

また、原告昌徳の本件傷害の程度からみて、その両親である原告吉一、同洋子が、被害者である原告昌徳の生命が害された場合にも比肩すべき、またはその場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたものとはいえないから、同原告らの本件慰藉料請求は認められないというべきである。

(3)、なお、本件事故当時、原告吉一、同洋子は不仲であって別居しており、原告昌徳に対する保護監督、躾の仕方にも欠けるところがあった。そのため原告昌徳は、不断から担任教諭の言うことを聞かないで勝手な振舞をすることが多く、本件事故の際も原田教諭の注意を聞かないで勝手な行動をしたものであって、それが本件事故の原因となったのである。したがって、かりに被告に本件事故についての責任があるとしても、その損害額の算定については、原告ら両名の原告昌徳に対する右保護監督上の重大な過失を斟酌すべきである。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、原告主張の請求原因第一項の事実、同第二項の事実のうち、原田則子が被告の被用者であること、原告ら主張のときに右原田則子が、原告昌徳の属する「すみれ組」の担任教諭として、三郷幼稚園の園庭において同組の園児らを男子組と女子組とに分け、みずからも女子組に加わって綱引きを始めたこと、その際原告昌徳がその主張のような傷害を受けたことはいずれも当事者間に争いのないところ、原告らは、右事故は原田教諭その他の被告の被用者の過失によって生じたものであると主張し、被告はこれを争うので、まずこの点について検討するに、≪証拠省略≫ならびに右争いのない事実を総合すると、次のような事実を認めることができる。

(一)、訴外原田則子は、高等学校卒業後資格試験に合格して昭和三七年ごろから幼稚園の教諭となり、昭和四〇年から被告の経営する「三郷幼稚園」に勤務して、昭和四二年当時は、二年保育のうち年少組である「すみれ組」(園児約四〇名)の担任教諭として園児の保育に当っていた。

(二)、ところで、原告昌徳は右「すみれ組」に属する園児であったが、「すみれ組」においては、同四二年一〇月一三日の午後の遊戯時間を運動会での綱引き競技の練習に充てることになり、始業に際して教室において予め原田教諭より園児らに対し、綱引き競技の要領を説明するとともに、教諭の吹く笛の音を合図に競技を開始したり、中止したりするよう注意した上園児らを園庭に出させ、同教諭において他の教諭の協力を得て物置から直径約三センチメートル、長さ約三二メートルの綱引き用の綱を取り出し、これを園庭のほぼ中央部にやや斜めにして南北に一直線に置いたが、綱の長さが長すぎて、その南側の先端が園庭の南側に建っている平家建園舎の廊下およびその廊下の屋根を支えている鉄柱(直径約一〇センチメートルの鉄製円柱)の付近まで延びてしまったため、原田教諭は、そのままの状況で園児に綱引き競技をさせると、綱の南側の先端部を引っ張る園児たちが右鉄柱等に衝突する虞れがあると考え、その先端部を再び輪の形に巻き取って短くし、巻き取ったままの状態でこれを鉄柱の北三ないし四メートルの地点に置いた。

(三)、このようにして準備を整えたうえ、午後一時すぎごろ、原田教諭は園児を男子組と女子組とに分け、男子組は綱の南半分(園舎側)を、女子組は北半分を引くこととして整列させ、笛を合図に綱引きを開始したが、男子組の人数の方が若干女子組の人数よりも少なかったのにかかわらず、次第に男子組の方が優勢となり、少しずつ南の方へ引きずられて行く形勢となったので、それまで両組の中間に立って号令をかけていた原田教諭は、ふと女子組に加勢する気になり、ただちに綱のほぼ中央部、女子組の園児の先頭の所へ行って綱を握り、女子組の園児とともに綱を北側に引き始めた。なお、その際原告昌徳は、男子組の最後部から二番目位の所で綱を引いていた。

(四)、ところが、丁度そのころ、同幼稚園東側二階建園舎内にいた年長組の男子園児五、六名が、突然右園舎内から園庭にとび出し、綱引き競技中の男子組に加勢すべく、輪型に巻き取っておいた綱の先端部を延ばして引っ張り始めたので、これを認めた原田教諭は急いで笛を吹き、これを中止させようとしたが、右園児らはなおもこれを止めようとしなかったばかりでなく、長く延ばした綱の先端部を前記鉄柱に巻きつけようとする気配を示すにいたったため、同教諭が笛を吹いてなおもこれを制止しつつ、走ってその方に赴いたところ、原告昌徳が、指が切れたと言いながら血の流れている右手をさしあげてその場に立っており、切断された右手母指の先端部が鉄柱から程遠くない場所に落ちていた。

以上のような事実であって、右認定を左右するにたりる証拠は見当らない。しかして、右認定のごとき事実関係を前提として考えるならば、原告昌徳が右のような傷害を受けるにいたったのは、年長組の男子園児たち五、六名が男子組に加勢するため、原田教諭の制止もきかずに巻いてあった綱の先端部を解いて引っ張り、これを前記鉄柱に巻きつけるような気勢を示した際、これに加わった原告昌徳が右手母指の先端を綱と鉄柱との間に挾まれたことがその直接の原因であると推認するのが相当であるけれども、一方、園児たちを指導監督して安全に綱引き競技を行なわせるべき立場にあった原田教諭としても、綱の南側先端部が園舎や鉄柱に接着するような状態になれば危険であることは当初から気付いていたのであるから、その先端部を輪型に巻き取って短くしたのであれば、その上からさらに紐で縛るなどしてこれが容易に解けないようにしておくべきであったろうし、また、幼少な園児のこととて、競技中どのような突発事が生ずるかもしれないのであるから、女子組がいくらか劣勢であったからといって、これに加勢していっしょに綱を引っ張るようなことをしないで双方の状況をよく監視し、他の組の園児が勝手にこれに加わって競技を乱すようなことをしようとすれば、いつでもただちにその場に駈けつけてこれを制止することができるような態勢をとっておくべきであったとみるのが至当であり、このような注意を要求したからといってなんら酷に過ぎるとは認められないのである。しかるに、同教諭がこのような注意義務を尽さなかったことは右認定のとおりであり、かつ、同教諭においてこれを尽しておれば本件事故の発生を避けることができたことも明らかというべきであるから、本件事故の発生は原田教諭の右過失によるものであって、被告主張のように不可抗力によるものではないといわなければならず、したがって、同教諭の使用者である被告としては、民法七一五条により、右事故によって生じた損害の賠償をなすべき義務があるというべきである(右事故が被告の事業の執行について生じたものであることは前記事実関係から明白である)。

二、そこで次に、損害の額について検討することとする。

(一)、原告昌徳の逸失利益

原告昌徳は本件傷害の結果労働能力の一部(九パーセント)を喪失したとして、これによって逸失した得べかりし利益八八万二、七一七円(現価)の賠償を請求しているところ、≪証拠省略≫によれば、原告昌徳は本件事故当時満四才九月の男児であったところ、本件事故により右手母指の末節、三分の一が挫滅切断したので、ただちに近隣の外科医において縫合手術を受けたが、術後が思わしくなく、該部分が壊死状態となってきたため、同一〇月二三日大阪厚生年金病院に入院し、翌二四日同部分の切断術を受けたのち、同一一月七日患部に腹壁よりの有茎皮膚移植術を受け、さらに同月二七日皮膚弁分離術、断端形成術を施行されたこと、このため右切断面は良好な皮膚で覆われ、日常生活に復帰することができる状態となったので、同一二月六日右病院を退院したが、右手術によっても完全に元の状態に回復することはできず、右母指の指節間関節(一番末梢の指関節)の可動域は現になお五〇度程度で、正常な場合の半分しか曲らないこと、そのため、機能的になんらかの障害が生ずることは否定できないけれども、具体的にいかなる不便不利が生ずるのか必ずしも明らかでなく、また、成年を過ぎたころに有茎植皮法を用いて再手術を施行すれば、現在若干短くなっている右母指をさらに長くすることも可能であること、以上のような事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、年少者死亡の場合の消極的損害の賠償請求については、一般の場合に比し不正確さが伴うにしても、裁判所は当事者の提出するあらゆる資料に基づき、経験則と良識とを十分に活用して、できる限り蓋然性のある額を算出するよう努め、ことに右蓋然性に疑がもたれるときは、被害者側にとって控え目な算定方法を採用することにすれば、慰藉料制度に依存する場合に比較してより客観性のある額を算出することが可能であろうけれども、本件原告昌徳のごとく四才九月の幼児の負傷事故において、右に認定した程度の後遺障害を残した場合、そのために将来、どの程度の得べかりし利益を逸失することになるかを現時点に立って予測し確定することは不可能というよりほかはないのである。もっとも、この点について原告は、労働基準法施行規則の定める身体障害等級表およびこれに基づいて作成されたいわゆる労働能力喪失率表を根拠に、本件傷害による原告昌徳の労働能力喪失率を九パーセントとするとともに、統計上明らかにせられている労働者の平均賃金等を基準として抽象的に算定した将来取得するであろう収益の現価に右喪失率を乗じて得た金額をもって右逸失利益の額に当るものと主張している。なるほど、負傷した被害者の年令がさらに高い場合や、また、傷害、後遺障害の種類・程度がさらに深刻かつ顕著な場合においては、このような算定方法もまたなにがしかの合理性をもつ方法としてこれを採用することはあながち不当とはいえないであろうけれども、本件のごとき場合にまでかような算定方法を適用して金額を算出したとしても、それが真の逸失利益の額と合致するであろう蓋然性がきわめて乏しく、これと相隔たること程遠いものであることはその算定方法自体に徴して明白であって、これをもって逸失利益の額とすることはとうていできないといわざるをえないのである。これを要するに、原告昌徳主張の同原告の逸失利益については、その額を算定することは不可能というべく、右認定のごとき後遺障害については、慰藉料の額を算定する際に一事情としてこれを斟酌するよりほかはないのであって、逸失利益の賠償請求としてはこれを認容することができないといわなければならない。

(二)、原告昌徳の慰藉料

原告昌徳が本件事故によって傷害を受けるにいたった経緯、その傷害の部位程度、後遺障害の程度、被告側の過失の内容と程度はいずれも前記認定のとおりであるところ、≪証拠省略≫によれば、本件事故後、被告およびその被用者である三郷幼稚園の職員らが熱心に原告昌徳の看病に当り、その入院治療費も進んで被告において負担し、また、同原告が右幼稚園を卒園するまで保育料を免除するなどしてかなりの誠意を示していることが認められるのであって、これら一切の事情を斟酌するならば、右原告に対する慰藉料の額は金五〇万円と認定するのが相当である。(なお、本件事故の発生と因果関係をもち、かつ、斟酌するに値するほどの過失が被害者である原告昌徳側にあったものと認めるにたりる証拠はない。)

(三)、原告吉一、同洋子の慰藉料

原告吉一が原告昌徳の父であり、原告洋子がその母であることは前記のとおりであるけれども、第三者の不法行為によって身体を害された者の両親が自己の権利として慰藉料を請求することができるのは、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときにかぎられると解すべきところ(最高裁判所昭和四三年九月一九日第一小法廷判決、民集二二巻九号一九二三頁参照)、前記認定の事実関係からすれば、原告吉一、同洋子が子である原告昌徳の受傷によって多大の精神的苦痛を受けたであろうことはこれを窺うに難くないが、いまだ原告昌徳が生命を害された場合に比すべきか、または、右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたものとは認めることができないから、原告吉一、同洋子の本件慰藉料請求はその点において理由がないというべきである。

三、以上のとおりであるとすると、被告は原告昌徳に対し金五〇万円およびこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四二年一〇月一四日(ただし、本訴においては訴状送達の日の翌日である同四四年七月一三日から請求)以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いをなすべき義務があり、同原告の本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容することとし、同原告のその余の請求ならびに原告吉一、同洋子の各請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原弘道)

〈以下省略〉

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